御礼申し上げます
故吉岡輝顕の父です。
この度の輝顕の葬儀に際し全国の方々から沢山の弔電や掲示板への書き込みをいただき誠にありがとうございました。
また、息子の写真を数多く送っていただいた上、葬儀には遠方から駆けつけていただくなど息子も喜んでいることと思います。本当にありがとうございました。
昨日、無事初七日の法要も終えることができました。
これからもみなさんはバイクに乗ることと思いますが、このような悲しい事故のないようどうぞお気をつけ下さい。 
父 吉岡利久 08/17(日) 19:37

訃報のお知らせ

A級の吉岡 輝顕さんが不慮の事故で
平成15年8月10日夕方にお亡くなりになりました。
ここに謹んでご冥福をお祈りいたします

北海道ジムカーナの発展に大変貢献された方がこのような形で
お別れしなければならないことを大変残念に思います。

JAGE二輪ジムカーナ主催者団体協議会北海道支部

吉岡選手は、北海道のジムカーナの発展に精力的に尽くされました。
いつも明るく、持ち前の行動力でJAGE北海道支部を引張って頂きました、そして全国各地に多くのジムカーナの仲間がおられます。
JAGE北海道の発展にとってかけがえのない人物でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

 『お別れの言葉』
吉岡君へ

この様なかたちで、お別れしなければならないとは、未だに信じられません。悲しいです 一言では言い表せないほどいろんな思いが頭の中を廻っています。全国の二輪ジムカーナに関わった人達が思うように、いつも思いっきり笑顔で、思いっきり忙しそうで、周りに元気をいっぱいふりまいてくれる人でした。上下関係なく人なつこっく誰にでも暖かく声をかけて、気さくな人でしたね。初対面の方や、初参加の方への配慮、他の選手の気配りなど皆を盛り上げるのがうまい人でした。

ジムカーナに興味を持った人達は、当初は知り合いも少なく、まだ「なじめないな〜」と思っていた頃 吉岡君のちょっとした一言で「ほっ」とし、緊張がほぐれたのではないでしょうか。
吉岡君と関わったことのある人で、同じ想いの人はたくさんいると思います。 千葉県船橋市に住んでいながら、わざわざ北海道選手権に毎回参加してくれました。北海道と本州の選手間の架け橋に成っていただき、情報を与えてくれましたね、そして北海道選手権を本州の選手の方達に宣伝していただきました。
そんな吉岡君の熱い想いと走りがあったからこそ、北海道のジムカーナがここまでレベルアップ出来たのではないでしょうか。持ち前の明るさと元気の良さがすごく印象的で、いつも会える日を楽しみにしていました。非常に残念です。

誰にでも分け隔てなく初心者の人にも 親切にアドバイスをしていましたね、そういった人柄の吉岡君がこんな形で 世を去ってしまうなんて本当に悲しすぎます。 『交通事故』て、さっきまで元気だった人が突然帰らぬ人になってしまう、心の準備ができず、倍にショックが大きいです。
我々以上に、ご家族の悲しみは計り知れません。

北海道二輪ジムカーナ選手権発足以降、一部の北海道公安委員会指定自動車学校の協力の下で開催してまいりました。
趣旨は二輪ジムカーナに関わる人達に対し二輪車の交通事故を防止する意味で交通安全意識の向上、運転技術の鍛錬、交通マナーを重視する事を目的として開催しております。

ただ今回の吉岡君の交通事故死に関しては、どの様に技術が優れていても避けきれない事もあるんだと、考えるきっかけとなったのではないでしょうか。
今後ジムカーナを通し安全運転の啓発と技術向上を図り、いままで以上に防衛運転の大切さを認識し
二度とこの様な悲しい事故が起こらないことを願います。
吉岡君、君の事は二輪ジムカーナに関わった人達の心の中にいつまでも生き続ける事でしょう。 

ご冥福をお祈りいたします。
                              JAGE北海道支部
                              代表 浪江 安行



代表の一言より転載しました。 8/22

激動の四日間!!
【記憶に基づいて回想して書込しております、時間及び名前等が前後している場合もあります、また言葉足らずの箇所もありますのでお許し下さい。】

2003年8月10日(日)
二輪ジムカーナ選手権第5戦も無事終了……

同僚の堀江氏(スタッフでPC担当)と高速道路で札幌に帰路中、16:10頃、千歳インター付近走行中に小川昇選手より「吉岡が苫小牧市入り口で事故を起こしたみたい」との連絡が入るが、その時はそんなに重大には考えていなかったし「何やってるんだ吉岡は・・って」言う感じだった。
16:15平野輝幸選手より「吉岡君意識がないんですよ。警察官に緊急連絡先聞かれたんですが判りませんか?至急調べて下さい」どの様な事故?「右直事故です」と連絡が入る。
ここでやっと事の重大性に気付いたのである。小川昇選手に電話で「今日の参加申し込み用紙に緊急連絡先が記入されているはずなので至急調べて」と指示する。その間私の方は、過去の申込データーを確認したのですが記入されていなかったのである。
折り返し小川昇選手より「申込書には緊急連絡先が記入されていない」と連絡が入る、完全に行き詰まった状態である。
16:20安達代表に電話を入れる「急を要します、吉岡君が交通事故で意識がない状態です、緊急連絡先を知りたいのですがそちらで調べる事はできますか」安達代表「至急調べてみます、判っても判らなくても連絡入れます」との返答この時、安達代表は埼玉県のホンダ交通教育センターレインボー高速教習コースでミシュラン・モータサイクリスト・JTC杯ジムカーナの大会中であった。
16:25小田誠選手に電話を入れる「吉岡君が交通事故で意識がない状態、緊急連絡先が判らないので、前々回試験場ライディングスクールに吉岡君の妹さんが参加しているはずなので、二輪推進委員会事務局の○○さんと連絡付けて妹さんに連絡とってほしい」と連絡を入れる。
16:27平野輝幸選手より再度電話あり「まだ緊急連絡先判りませんか?これから現場検証終了後、永井毅選手、矢島尊選手と3名で苫小牧警察署に向かいます、残りの人達は苫小牧王子病院に行っています」矢島尊選手が事故を目撃していたらしい、そして他の選手達が事故現場の後方にいたらしい。
16:28小田誠選手より「妻が妹さんの職場を知っているとのこと、これから妹さんの職場に向かいます」と連絡が入る。
16:30JAGE北海道支部HP管理者に電話を入れるが連絡が付かない。
16:35安達代表に電話「データーには入っていないので、吉岡君の親しい選手に確認を取っている」とのこと。
16:55小田誠選手より「妹さんの職場の職員に事情説明、病院等を知らせ至急連絡を取って頂くように頼んできました、浪江代表に連絡するように携帯電話番号を知らせておきました」と連絡あり。
17:00佐藤恵一選手より「恵庭市から引き返し苫小牧王子病院にいます。でも駄目みたい。」と連絡入る。
17:10自宅に到着、妻に事情説明後苫小牧に行く準備中、佐藤恵一選手より「苫小牧警察署にいる平野輝幸選手より病院から苫小牧警察署に吉岡君死亡の連絡が入ったとのこと、病院で待っている選手はまだ死亡したことは知らない、知らせるにも動揺が大きすぎる困った」と心細い電話が入る。これから苫小牧に向かう事を伝えた。
後から聞いた話では、病院に担ぎ込まれた段階で駄目であった様である、だから処置はしていないとのこと。
17:50苫小牧に向かう。
17:55同僚の堀江氏(スタッフでPC担当)に苫小牧に向かう事を伝え状況によっては2日〜3日有休を取ることを伝える。
18:00JAGE北海道支部HP管理者より電話が入り、事情説明、HP管理者の「一瞬重々しい空気、急に元気がなくなっていくのが、ひしひしと感じる」
18:10安達代表に電話、吉岡君が亡くなった事を連絡、自分が苫小牧に向かっていることを連絡「詳しい事が判ったら連絡下さい」とのこと、また「できる限りのことをします」と、心強い言葉を頂く。
18:30佐藤恵一選手に吉岡君の親族が来ているか確認の電話を入れるが「まだ到着していない」とのこと。
ここから苫小牧到着までの記憶が飛んであまり覚えていないのである。
時間不明、王子病院まであと10分位のところで渋滞、この日苫小牧市は港祭りで交通規制されており、なかなかスムーズに車が動かないイライラしていると「ど〜ん」と夜空に花火が上がっている「花火大会か〜」と独り言を言いながら、でも凄くむなしい花火に感じた。
時間不明、王子病院に到着、ロビーで目を腫らして皆さん残っているんです、とにかく重い苦しい空気の中で。
矢島尊選手、永井毅選手、川崎淳選手、大石一郎選手、大石麻希子選手、大谷拓也選手、現地マーシャル5名、佐藤恵一選手、平野輝幸選手、小川昇選手、谷川直人選手、原香代子選手、栄 潔選手、本当にご苦労さまでした。
その後佐藤恵一選手、平野輝幸選手より状況説明を受ける、私が到着前に「妹さん弟さんが到着し霊安室にいるとのこと」矢島尊選手、永井毅選手より事故の状況説明を受ける。
親族が来た事で、とりあえず私たちの役目は終わったので解散する予定であったが、誰ともなくお線香を上げたいと言うことになり、看護婦さんに交渉「ご親族が了解であれば良いですが」とのこと、妹さんに「今日は一旦帰りますが、ここに残った人達が線香上げたいと、希望しているのですが是非上げさせて下さい」了解を得た後、地下霊安室に案内され一人一人別れをしたのだが、無念さと寂しさと辛さが入り交じった涙のお別れであった。
その後、矢島尊選手が妹さんに事故の状況説明を行い、私の方からは「今日苫小牧に泊まりますので今後の事が決まりましたらご連絡下さるように」と伝え、また詳細、問い合わせ等は私の方で行う事を伝え病院を後にしたのである。
時間不明、MC池端氏に電話で吉岡君の事を説明、知らなかった様である。「あら〜、」その後言葉が出ず…・・「詳細決まったら連絡下さい」
21:00頃、青森の歌代さんより電話「状況説明」
21:20頃、JAGE北海道支部HP管理者に携帯メール及びHPトップページで告知するように指示。
21:30 とにかく呑まなくちゃ やり切れない感じ、佐藤恵一選手、平野輝幸選手、小川昇選手、栄 潔 選手、全12名で「追悼飲み会」を行ったが全然酔えない。…・
22:00頃 SRS愛知伊藤章訓代表より「いま函館のホテルをキャンセルして、札幌に向かいます」と電話が入る、その5分後「吉岡君の実家函館って聞いているので函館で待機してます」私のほうからは「明日一番で、妹さんの方からお通夜、告別式等が決まりしだい連絡頂くことになっていますので連絡来ましたら伊藤さんに連絡入れます。」
その後、SRS愛知伊藤章訓代表は函館に戻ったのである。
私と佐藤恵一選手、平野輝幸選手は23時頃ホテルに戻り佐藤恵一選手の部屋でまた呑んだのですが酔えませんでした。
8月11日

朝6時、平野輝幸選手からのモーニングコールで起こされる。
6:15 身支度をしホテル内のコンビニでパンとコーヒーを買って札幌にに向かう。
7:45会社に到着、社長・常務・校長に報告。
9:30吉岡君の妹さんより「遺体を函館(実家)に移動し、葬儀等は函館で行う」と連絡が入る、また「場所、日時については函館に着き次第連絡を入れます、夕方までには決定したい」とのこと。
10:00頃SRS愛知代表伊藤章訓さんより「吉岡君の実家に行って線香を上げたい、またお手伝いすることがあれば力になりたい」と電話が入る「親族が函館に向かっていること、函館に到着するのは15時前後である」旨伝える。
前後して安達代表、矢島尊選手に電話を入れる「妹さんより電話があり、葬儀等は函館で行う、日時については夕方までには確定する様です」と伝える。
同僚の堀江氏(スタッフでPC担当)が葬儀に参列したいとのこと勤務の変更を指示し、佐藤恵一選手より明日函館に向かうのであれば一緒に同行するとのこと。
前後して夕方まで私の携帯電話、会社の電話なりっぱなし、15時頃(確実ではない)吉岡君の妹さんに「葬儀等の日時、場所の問い合わせのが多い」と電話を入れる。妹さんは「実家は函館ですが兄は地元ではないので…・」と、後は言葉ならず絶句。
「とりあえず決まりましたらFAX、メール等でお知らせ下さい。」「また北海道支部のHPで告知しますが宜しいですか?」承諾を得る。
再度、安達代表に「葬儀等決まりましたら支部のHPで告知します。」と連絡を入れる「じゃJAGE本部のHPから詳細については北海道支部HPを観覧する様指示します。」
16時頃、SRS愛知代表伊藤章訓さんより「吉岡さんの実家にいます、今後の事ですが、何とか力になりたいのでお手伝いします、もし親族の方が了解して頂けるのであれば、これから喪服を買いに行きます」と連絡が入る「そうですね、ジムカーナ関係の方が来ても親族の方が対応に困りますね、伊藤さんがいれば、ある程度の方とは面識がありますし、じゃ現地対応責任者と言うことで親族の方に交渉してみます。」と妹さんに電話を入れ承諾を得る。
また伊藤さんにはHPに「以後、詳細については伊藤さんを経由する旨、携帯電話番号を告知して良いですか?」と、伊藤さんの承諾を得る。
その後伊藤さん夫婦は喪服を買いに行ったそうです。
その後、妹さんより「葬儀の日時、場所が決まったこと、また最近の写真がないので手配できますか」「函館市の風習としてお通夜の前に荼毘にふされる」と連絡が入る。
北海道支部HP管理者に携帯メールで葬儀の日時、場所及び写真の手配を告知するように指示。
前後して添付ファイルで佐藤周子選手より送信されたとのことで北海道支部HP担当者よりメールが届く。折り返し妹さんに写真とジムカーナ関係の掲示板等のアドレスを送信。
前後して北大医学部インターン堀口選手より明日葬儀に参列、同行したいとのこと。佐藤恵一選手にその旨伝える小川昇選手も同行するとのこと、ホテルの手配小川昇選手にお願いする。
21:00頃スタッフ宮崎氏(光電管担当)明日小田選手夫婦、朝倉選手と函館に向かうと連絡が入る。
3日目 8/12
6:30起床、妻に二日分の衣類、洗面等の準備をしてもらい8:00会社に到着。
PCでメール確認、吉岡君の妹さんより「当初10時火葬の予定をギリギリ11時まで延ばしました」とメールが入っているのを確認。2日間分の仕事内容伝達、
9:30佐藤恵一選手向かえに来る。
10:00会社出発。途中、同僚の堀江氏(スタッフでPC担当)と北大医学部インターン堀口選手を乗せて札幌北インターより高速道路で函館に向かう、
11:20小川昇選手より「栄 潔選手、原香代子選手は火葬前に着きたいとのことで朝5時頃、苫小牧を出発した」とのこと、また「はぎの自動車学校到着は何時になるか?」と電話が入る。前後して平野輝幸選手より「これから藤巻選手、北村選手、富谷選手他二名、合計6名で函館に向かう」と電話が入る。
12:00頃はぎの自動車学校到着、小川昇選手を乗せて登別インターより高速道路で函館に向かう。途中小川昇選手が「飲料水が呑みたい」と言い出すが、佐藤恵一選手は車を止める気配全然なし、その後数回にわたり昼食のおねだり、高速パーキング等が近づいたら合図を送っていたが、無視して一向に止める気配なし、なぜか小川昇選手以外は早く函館に着きたい一心であった。
ただ北大医学部インターン堀口選手は異常に小便が近く、何度か用を足すため停止をした。長万部手前で小山選手より「いま苫小牧の事故現場にいます」と電話が入る「お参りした後函館に向かう」「花束、お供え等が多くあり、まだお線香に火がついていた」とのこと。

八雲町付近で凄い土砂降りの雨、振り方が大粒で異常である、走行中の自転車やオートバイの人達は痛そうであった。対向車が何か避ける様な感じでこっちの車線に入って来る。いまの豪雨で山側の土砂が少しづつ国道をふさぐ様に流れ出している。
その後森町手前で急に渋滞、森警察署に電話入れ状況説明を受ける「森町で事故発生上下車線をふさいでいる状態で、レッカー車が現場にまだ到着していない」とのこと、その後八雲町で土砂崩れのため上下線通行止めとラジオで確認。佐藤恵一選手「さっきの場所だ!!」危機一髪って感じ、みんなで胸をなで下ろす、誰ともなく「吉岡君が守ってくれた」…・・

その間小田誠選手、矢島尊選手、北村聖司選手に電話を入れ状況を説明、
15:30JAGE北海道支部HP管理者に状況を説明し「札幌方面より函館に移動している人達にメールを入れてくれるように指示」停止してから約40分後、交互通行で車が動き出す。
事故現場から約3km手前であった。現場は農耕用トラクターに乗用車が正面衝突し大破、農耕用トラクターが横転して上下線をふさいだ状態であった。対抗車線は事故現場から約14km渋滞していた。

16:00頃函館到着。その間矢島尊選手、小田誠選手、藤巻和昌選手等と連絡を取り合うが、函館到着が20:00過ぎるとのこと。(お通夜が終わってしまう)
平野輝幸選手とは連絡取れない(全然役に立たない携帯電話を持っているため)小川昇選手が地元出身と言うことで、美味しいところがあるので、とりあえず遅い昼食を食べる事になった。

案内されたところは(忘れました)○○倉庫の突き当たり(店名不明)ご飯をバターで炒めフランクフルトが2本乗っていて、その上にミートソースが掛かっている食べ物(ボリューム満点)見ただけで満腹、確か800円だった様な気がする。量が多すぎて飽きてしまった、量が半分だったら美味しいと感じたと思う。その後SRS愛知代表伊藤章訓さんより「早めに来てほしい」と連絡が入る「駐車場係りお願いしたい」とのこと。宿泊先ホテルで喪服に着替え同僚堀江氏、佐藤恵一選手、北大医学部インターン堀口選手と17:30頃葬儀場に到着、早速4名で駐車場の整理のお手伝いを行う。
葬儀会場到着後、SRS愛知代表伊藤章訓さんの指示の下、4名で駐車場の整理のを行ったが、ここ二日間の対応、準備等でSRS愛知代表伊藤章訓さんが、見るからに疲れ果てた風貌であったのと、チョット一回り小さくなった様な気がした。
同じジムカーナに関わる仲間として誠心誠意対応してくれたことを誇りに思う。
また葬儀終了後お礼の言葉を述べるまもなく帰路に着いたことが心残りである。
この場をおかりし御礼申し上げます。本当にありがとう御座いました。

18:30お通夜がはじまり、会場を見渡すと70名程参列していた。札幌方面から向かっている人達は土砂崩れの通行止めの影響かお通夜には間に合わない様である。
吉岡君の人柄なのか全国のジムカーナに関わる仲間達から、沢山の花輪や弔電が届いていた。

40分ほどでお通夜は終了し別室に移動。

20:00頃札幌より向かっていた小山選手が到着後 北村聖司選手、藤巻和昌選手、平野輝幸選手、富屋一彦選手他2名計6名、小田誠選手夫婦、宮崎夫婦(スタッフ)、朝倉啓介選手計5名チョット遅れて苫小牧から北谷哲博選手、その後矢島尊選手、永井毅選手、大石一郎選手、大石麻希子選手、川崎淳選手、大谷卓也選手等お通夜には間に合わなかったが生前の吉岡君を偲んで語りあった。

21:30頃会場を後にしホテルに宿泊する12名で近くの居酒屋で追悼飲み会を行った、そのころ東京秋葉原でも吉岡君の追悼飲み会をやっていると言う連絡が入る。

23:00頃終了し就寝。
【記憶に基づいて回想して書込しております、時間及び名前等が前後している場合もあります。また言葉足らずの箇所もありますのでお許し下さい。】
【日が経っているので記憶が薄れています。】

色々な思いと、部屋の温度調整が壊れているため暑苦しいくなかなか寝付けず、気付いたときには外が明るかった。シャワーを浴び7:30頃、同僚の堀江氏に「ホテルの外で朝食を取ろう」と誘い、朝市で堀江氏はイカそうめん定食、私は鮭のはらす定食を注文した。
ここ3日間食欲があまりなく、まともな食事を取っていなかったせいか美味しかった。

10:00頃 ホテルロビーで札幌から来た仲間達と「葬儀が始まる14:00には時間がある」と言うことで、近くのロイヤルホストに移動して時間をつぶす事にした。また朝、札幌から向かっていた山田剛選手、佐藤恭穂選手夫婦と合流した。他の人達は朝食を済ませておらず、そばかうどんが食べたいと言いだし何を食べるかでもめていた。
私と堀江氏は会場準備が気になったので、その場所から徒歩で会場に向かった。会場に着くと安達代表が朝一番の飛行機が運良く取れたと言うことで到着しており、安達代表より「弔辞について親族と話し合ったんだけど、浪江さんにお願いしたい」と言われ私が、お別れの言葉を述べることになった。
ただ、吉岡君とのこれまでの想い出を思うと胸がいっぱいになり話ができるか不安であった。
実際、その時になると自分が思っていたことの10分の1も言えなかった。

14:00告別式が始まる頃、会場内は全国から続々と吉岡君友人知人が集まった。関東関西方面から日帰りで駆けつけた方もいた。
告別式終了後、場所を移動して親族を交え生前の吉岡君を偲んだ。
ご両親と会話するのが辛かった。

16:30 佐藤恵一選手の運転で私、堀江氏、北大医学部インターン堀口選手4名で札幌に向かった。
21:20自宅到着。

今回の4日間で感じたことは、ジムカーナに関わって本当に良かったと思う。
二輪ジムカーナに関わった選手、スタッフが真剣に友人を想い、心配し助け合ったこと、仲間意識の強さがひしひしと感じた。

病院に直行し待機していた選手の皆さん、本当にご苦労さまでした。
後から聞いた話ですが「親族が来るまで吉岡君を一人にしておくのは可哀相だ」「吉岡君が寂しく思うじゃないですか」「自分達が出来るのはこの様なことしか出来ないから」等、吉岡君はきっと喜んでくれていると思いますよ。
JAGE北海道支部HP担当管理者の中館さん、本当にご苦労さまでした。素早い対応伝達、本当に助かりました。この場をおかりし御礼申し上げます。


北海道新聞記事より転載。
乗用車と衝突、オートバイの男性死亡 苫小牧  2003/08/11 00:30
【苫小牧】十日午後三時五十分ごろ、苫小牧市有明町一の国道交差点で、
乗用車と千葉県船橋市本郷町四四七、会社員吉岡輝顕さん(32)のオートバイが
衝突。吉岡さんは外傷性ショックで間もなく死亡した。苫小牧署は業務上過失致傷
の現行犯で、乗用車を運転していた苫小牧市澄川町一、会社員関戸勝行容疑者(57)
を逮捕した。
同署によると、現場は信号機のある丁字路交差点。調べに対し、関戸容疑者は
「オートバイが来ているのは分かっていたが、右折できると思った」と供述しているという。
同署は関戸容疑者の無理な右折が原因とみて調べている。

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飲酒して乗用車を運転し、衝突事故を起こしてバイクの男性を死なせたとして危険運転致死の罪に問われた苫小牧市澄川町1、会社員、関戸勝行被告(58)の初公判が6日、札幌地裁室蘭支部(斉木利夫裁判長)であり、関戸被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。
 起訴状によると、関戸被告は8月10日午後3時50分ごろ乗用車を飲酒運転し、同市有明町1の交差点で千葉県船橋市本郷町、会社員、吉岡輝顕さん(当時32歳)のバイクと衝突、吉岡さんを死亡させた。
 検察側の冒頭陳述などによると、関戸被告は事故の直前まで苫小牧港まつりに参加し、350ミリリットル入りの缶ビールを7、8本飲み、体が前後左右に揺れ動くほど酔っていたという。【鈴木勝一】
(毎日新聞)[10月7日18時44分更新]